愛する人を亡くした時
いかせいのち
- 愛する人との別れ
- 病室とナースステーションの間をドクターと看護師が顔に焦りの色出して何度も病室を往復する。病室の中は生命維持装置や医療機械が運び込まれ病室内は段々、残されようとしている家族が立っているスペースも狭くなっていく。あと何時間かで別れは来るものとだいたいは感じ取ってはいるが、ただドクターを始め看護師の動きを黙って見ている。
「もういいです」とドクターに言えない。本人の意思も確かめる術も無い。辛い時間が経つものです。
死にゆく人の方が残される人より数倍悲しい事でしょう。
一番失いたくない人、一番別れたくない人との間を引き裂かれる辛さは味わった人にしかわからない辛さです。 - 葬儀の準備
- 死後の処理を終えて遺体を家へ運びます。故人が好きだった道や勤めていた会社、学校等の前の道を通るのもいいでしょう。久しぶりの我が家に戻り一番いい部屋に案内します。
家に帰れば遺族は我に帰り本当の辛さ悲しさがドッと出てきます。悲しいながらも弔問の方への対応もしなければなりませんし、故人の死出の準備も急がなければなりません。
まず床を用意します。季節によって多少異なりますが故人が使っていた敷布団に新品の白シーツを敷き、葬儀屋さんの手を借りるなどして遺体を寝かせます。たいてい葬儀屋さんが故人の着衣は着せてくれます。特に着せてあげたい物がある様であれば悔いの無き様にすべきです。
遺体の両手は合掌させ、その上に数珠をのせます。死装束が整うと顔にさらしをかけます。
故人が遍路や巡礼をされていた場合は納経帳、おいずる、金剛杖、ずた袋、袈裟など入棺の時に入れてあげるのもいいでしょう。
枕元には小さなテーブルを置きその上に「香炉」「ローソク」「灯明」「線香」「一輪さし(花瓶)」を用意します。頂いた供花、お供え物などは枕元近くに囲う様にします。もし床の間があれば掛け軸を外し13仏の掛け軸(葬儀屋さんで借りれます)を掛けます。生け花も仏花にかえます。弔電も届くでしょう。
弔問の方をお接待する部屋、お茶、菓子等の準備をしておきます。遺体のある場所に先ずご案内し、故人とのお別れをしいて頂きます。出来れば顔に掛けている晒を外し、お顔をみて頂くのもいいでしょう。終われば別室にご案内し、時間の許す範囲で茶菓子の接待をします。この時、身内関係の方が弔問客のお相手をして下されば遺族は大変助かるものです。夕刻になれば家の中にいる方全員に夕食の準備をしますが忘れていけないのは故人にお供えする夕食です。みなさんと同じ夕食で結構です。故人の好物だったものをお供えするのもいいでしょう。
夕食を戴く場合「清め」で頂きます。宴会にならぬ様故人を偲んで静かにいただきましょう。 - 菩提寺等に連絡
- 少し落ち着きましたら家族の代表が菩提寺に連絡します。電話を入れ死亡の一報を入れ、葬儀について相談します。ご住職の都合の良い時間、住職が不在の場合は住職の奥様に伝えるといいでしょう。互助会等に入っている場合、互助会にも連絡しておきます。
葬儀屋さんと葬儀の日程を決めます。菩提寺がある場合、住職の都合が優先するので勝手に日時を決めて住職様の予定を変更させる様な失礼はなさらない様にして下さい。次に住職様と「戒名」の相談をします。自分の先祖に習い同様の戒名をいただくのがよろしいでしょう。
初めて相談される場合、ご先祖様と違う戒名にする場合は住職様とよく相談しましょう。特に戒名料とは話し難いのですが、お尋ねする事です。本来、戒名は亡くなった故人の供養の為に自分の最大限の気持ちを金額で表すものですから、ご家族と相談の上、喪主様からこの金額で宜しくお願いします。というものです。
都会では葬儀屋さんが一切を取仕切ってくれます。遺族の悲しみのドン底の状態の中で冷静な判断も出来ない遺族の身になりかわり、限られた時間の中でてきぱきと準備をしてくれます。
地方においては組合、となり組といって町内の自治会に各班があり班内に不幸があれば班総出でお手伝いをします。班内に「寺係」がいて喪主に代わって菩提寺、お寺関係、葬儀屋さん関係との連絡をします。戒名料やお布施の事も全権一切任されて交渉に当たります。喪主や遺族の考えが見えないのでご住職様とってはやり辛い習慣です。 -
通夜
- 入棺を済ませ、祭壇が飾られると家で行う場合も会館で行う場合も定刻前から弔問の方が見え始じめ、遺族は対応でいっぱいです。狭い家で行う場合は家の中に入れないことも考えられます。外で待っていただくしかありません。わざわざ遠方から来て下さった方に失礼があったのでは申し訳ありません。手狭はお許し頂き、ご挨拶をし、お礼を述べる以外はありません。ここで忘れていけないのは、本当に遺族が故人とお別れを出来ているかという事です。弔問の方に気を取られがちですが、後々後悔するものです。 最近は布教強化の研修も盛んに行われる様になり、意欲的な住職様は法話研修などに行き、遺族の心を突き刺す法話を勉強しているものです。お経だけを読んで帰るのは古いやり方という方もおられます。故人に対して真剣に経を読み、真言を唱える事に集中する住職様と二分しています。出されたご馳走、お酒に気をとられ、大事なお通夜の意味を忘れない様にしたいものです。
- 精進
- お通夜や葬儀の後、弔問の方にお食事を出します。最近では仕出し屋、お寿司屋さんから出前をしてもらいますが、実はそんな肉や魚の入ったご馳走は要らないのです。都会で目立ちますが高級料理店やホテルの豪華な食事などは日本人の伝統からすれば少し違う様な気がします。手作りの料理、おしのぎの料理で十分だと思います。家に不幸が起きるとその家族は精進潔斎、衣食住全てにおいて身を慎むのが本当です。真言宗壇信徒なら尚更です。昔なら向こう一年間喪に服した訳ですから、お腹にやさしいよく煮炊き、菜食を主とし、衣服も地味な色で通し、亡くなった故人の供養に時間を割き世間のお付き合いは喪中は遠慮する。それが本来の真言宗の教えです。仏教では七七日の四十九日までは絶対服喪期間です。お亡くなりになって最低一カ月半は完全に精進潔斎していただきたく思います。見栄を張らず、心のこもった精進料理で勘弁していただく葬儀にはそういった伝統がありました。裏を返せば不幸を出した家には経済的負担を掛けさせない。といった思いやりと互譲精神があった事は忘れてはいけません。
- 戒名を授与していただく
- 最近は進歩的文化人といわれる方がおられ、故人の意思という理由付けで菩提寺から戒名を授からず俗名の名前○○葬○○式が行われ、よくお寺側とトラブルを起こしています。何らかのきっかけで菩提寺に不快感を持たれたのでしょう。あるいは自分が社会的に神仏的に自分の方が偉いと思ったのでしょう。宗教や葬儀そのものに自分の思想があわなかったのでしょう。社会哲学や人間の死を説いた論理がありますが、仏教以上のものは日本に存在しないと考えています。この意味は進歩的文化人が不勉強と言わざるとは言えませんし、一部の派遣僧侶やお寺に不快を持ったも為の腹いせ感情と言われても仕方の無い事だと思います。一方大多数の日本人が仏教的伝統としての戒名を理解し許容しています。 戒名そのものに値段があるとか相場がないとか戒名にまつわるお寺側の事がよく言われますがそれは例外です。戒名は本来出家の名です。仏道修行を決心し、仏門に入った出家の名です。◎◎院△△□□居士の□□の2文字が本来の戒名、法名です。仏門修行者としての資格は師から戒律を授かる事から始まります。これを授戒といいます。戒名を授かるという事は故人が亡くなった訳ではなく、定められた命を全うし、仏門修行者としての立派な名前を持ち、次の神仏がおられる世界で生きていくという事です。私も高野山総本山金剛峯寺に隣接する別格本山某寺院に出家し、修行を重ねました。本山で得度するという事は高野山以外での寺院で得度するのとでは金額にも数段の違いがあり、相当な金額を払いましたし修行も市街地とは10度以上気温が変わるので辛い事も沢山ありました。亡くなった人を仏様という意味はもう人間関係、体が無いので病関係、お金も必要ないので金銭関係等で苦労する事も無く、子育てで悩む事も無い全ての苦しみから解放された仏様の世界に生きるという根拠から故人を仏様と言うのです。戒名には様々な意味合いがあります。ひとつは文字数です。文字の多い少ないは故人を修飾文字が多いか少ないかの問題で少なからず故人、遺族の思いに起因しています。家系の為、仕事の為、色々な面で立派に生きた人は後代の子孫に伝えたいと願い。なるべく多くの文字で伝えたいと願い。なるべく多くの文字で故人の事を表現したいというのは肉親の情としては当然です。その為に出すべきお布施は故人の残したものの中から出来るだけ出しても構わない、出してもみたい。故人の供養とその後の子孫の為、古き良き日本人はそうしてきました。勘違いされては困るのですが、文字数が少ないから故人の事を表現出来ないという意味ではありません。◎◎□□居士、信士でも信女でも◎◎童子でも菩提寺の住職様はその方に相応しい戒名を考えて下さいます。厳密な意味での戒名は文字数の多い少ないにも関わらず二文字なのです。一番長い戒名は◎◎院殿●●□□大居士(大姉)また◎◎院●●△△□□居士(大姉)次いで◎◎院●●□□居士(大姉)次いで●●□□居士(大姉)次いで●●□□信士(信女)、●●□□童子(童女)真言宗では概ねこれに似たものだと思います。よく戒名料が高い安いと話が横行します。戒名は物ではありません。戒名料は料金ではありません。仏道修行者として恥ずかしく無い名前を考える。幾つもの故人に相応しい文字を選び出し其れを幾通りも組み合わせ考えてから決めるのです。字の持つ深い意味と読み音の良さ悪さも考慮しなければなりません。戒名を考える住職様の法施に対し依頼者は財施で答える訳です。品物感覚では困るのです。最近コンピュータ、インターネットが普及し、自動戒名作成ソフトなどある様ですがそれを利用している、参考にしている住職様は数珠を首から巻き、袈裟を外し仏道を辞めるべきです。依頼者、故人に対し無礼千番であります。
- 葬儀に向け
- 葬儀の朝を迎えます。早朝から家族の身支度から始まりますが、最近は引いてしまう様な女性の服装に出会う事があります。葬儀は婚活でも結婚式でも無いのです。身を慎むべき儀式に参列するのですから肌を隠すのは日本人としては常識です。これは西洋も同じ考えです。例え物に不自由しない時代、ファッショナブルな時代だからといって念入りな化粧も不要です。ギラギラした時計、アクセサリーも不要です。食事も精進ならば格好も精進なのです。葬儀は導師の引導により弘法大師空海上人のご同行をいただいて故人を仏道修行者として仏の世界に送るという意味と、生前中にご交諠頂いた方々とのお別れ(告別をする)という二つの意味合いから構成されています。葬儀前半は導師の引導作法と読経が中心となり、後半は弔辞や焼香が中心です。葬儀導師は私もそうですが時計で時間を見ながら作法をしています。経典の横に時計を置き、葬儀がスムーズに進む様にせねばなりません。一時間に満たない葬儀が多いですから、決められた時間で様々な作法をするには時計は必要なのです。都会地の葬儀では40分に満たない葬儀も御座います。その中で様々な引導作法をするのは真言宗引導作法では到底無理です。ある部分は省く他ありません。また全てを行おうとすれば葬儀が長引き、葬儀会場に迷惑をかける事になりますし、参列者もだらけてしまいます。導師もしっかり考えているのです。弔電の奉読、謝辞が終わり出棺です。故人もこの世との最後のお別れです。皆さんに見送られ霊柩車のクラクションと共に火葬場に向かいます。火葬場で導師が最後の経と真言で送ります。昔は斎場の火力の関係で7~8時間掛かっていたのですが、最近はわずか数時間でお骨になり遺族が悲しみの中、お骨を拾います。
- 大日如来のふるさと
- 真言宗の位牌の上の梵字は「ア」という梵字です。ア字は真言宗の本尊である大日如来を意味します。弘法大師空海上人の教えには大日如来は宇宙全体を意味し、大日如来から命をいただいてこの世に生まれた。生きて50年~100年。亡くなって地獄で反省したり極楽界でしばらく生きてまた俗世界に生まれ変わる。仏の世界に戻りまた俗世界に生まれ修行する。それが真言密教の教えなのです。