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古来から伝わる祈祷まじない

古来から伝わる祈祷除霊まじない(縁切り)

現代社会の今日において祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭(まじないをして、悪事・災難をとどめること。まじない)等、懐疑的で頭から迷信だ。嘘だとけなし去る人が多いのであるが古今を通じ東西にわたり祈祷やお祓いなどなかった時代というものはなかった筈です。

 あらゆる宗教を見てください。今でも盛んに祈祷やお祓い除霊を行っている、そして相当の信仰をしている、それを見ただけでも祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭等この世にあらゆる限り必要なものであると共に決して頭から貶し去るべき性質のものでない事が知られる。

 

要するに祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭なるものは希望の灼熱化したものであって禁厭なるものは慰安の方便顔したものである。日本に於いても家を建てるには地鎮祭、棟上げ時には上棟御札を貼る。正月には神社、仏閣に行き初詣を行い、子供が生まれると宮参りなど言えばキリが無いが古来よりそのような事が今なお続いているではないか。

 

「信じる者は救われる」いうことわざの如く、信じない者には当然神仏は救済の手は差し伸べてはくれない。

故に祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭は永遠に無くならない。また、無くしてはならない、

 

亡き亡者の死後の結婚式

しかし小さき相対霊格を主体としての希望や方便すなわち自己本位の小さなご祈祷や禁厭 は、(私利私欲の願意)努力の丘割合に効果は薄い、それは早退する冷却に対し最高権力を有するものを眼中に書かないからである。

神仏に快適で渋々を今日や真言や経文を述べるよりは目に見えない絶対冷覚すなわち神仏に対しありのままにこの希望を述べ心のままに仏に対し加護を願うはよほど申請でやり有力である。

柱で頭を打って泣く子供を抱いて遠い医者の所へ連れて行くよりは優しい手でその痛むところを撫でてやり

「坊やは偉い子だ泣くな泣くなそれ治ったよ痛くないだろう !」

痛くはないだろうとも慰安的方便を利用する方がよほどの功徳だ。そこに神仏の自費は具体化し本来の浄菩提心がさ再現されます。

盛んに除霊・祈祷・お祓いが行われていた

わが国古代において多くの神々になどが万民安楽を願い盛んに祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭を行った事も有意義であります。

神仏を信じないまた無宗教者などまた宗教を馬鹿にするもの信仰をバカにするもの訳の分からないくせに来とうや禁煙を目にして無意味なことのようにまだ不条理のように 貶すのは全く猿の尻笑いであってむしろを憐れむべきことであり悲惨であります。

縁切りの呪詛

信仰に懐疑的な人、無宗教者が僧侶、行者、祈祷師、禁厭者祈祷師などを見て野蛮人と罵る。私はこれを無理にとは言わないが悲しい事です。

結局人生は皆これ祈祷、祓いでありまた神通力なのである希望と方便でこね固めた夢の世ある。

しかし祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭が必要であることは言うまでも無い。こと苟も神明佛陀と人類との関係である以上、店頭に立って一つ二つの饅頭を買うようなわけにはいきません。

除霊・お祓いする側にも過酷な修行と負担が掛かります

多少の順序と方式と心得と作法とまたそれを奉修するものは過酷な修行が必ずしも必要となってきます。

私が修行し書き残してやる秘伝に述べておいた呼吸法や瞑想法は其の説くところは極めて簡単ではありますが実際これを修養し訓練士応用するに至っては、時と所に人により全く現代の文明を超越し科学を優越するそこの実力を獲得しうるのであります。

故に祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭とかを実際有利有効に効いて欲しいと望む人はまず祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭を受ける(祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭等を依頼する)方も作法に入る前に、まず少なくとも右の作法を習熟する事が必要不可欠である事を断言します。

祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭もよく効くものであるがいっぺんの至誠が胸にかけては駄目であります。

 

何物をも動かす事の出来ない至誠であって初めて祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭が効くのであります。

祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭を受ける側としては至誠が胸に燃えていても、心が動揺したり気が散乱する様では充分の効果は認め得られないです。この動揺しやすい心を鎮め散乱しやすい気を納めるには何にしても三方に依るの外は無いです。

祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭のに試みる人(受ける側)

は少々周りが煩くとも是非、右の三法に依って心身の修養をしなければいけないです。

 

古の人の祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭が効いて、今の人の祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭の効かぬ言う筈は無いです。

 

古の人の其れが効いて、今の人の其れが効かないと言うのは、肉体に何の変わりが無くともその精神に非常の相違が出来ているはずです。

今の人の心が古の人の心の様に誠の道に適う様に実践すればやはり祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭も効くのである。

試しに私が神書やあらゆる宗教界に今も残る色々な経典の中に祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭の驚くべき効果を示したことが数え切れないほど列挙されている。

唯物主義者等は頭からこれを虚事して否定しているのであるが我々は幾多の事実に徴して虚しくなり信じられないのであります。

私の祈祷法は真言密教、神仏習合でありゆえ何だか統一を缺ているように見えないでもないが神と仏と呼ぶ。

祈祷を行うに際し呪文を唱えたり神歌を歌ったり経文をあげたり祝詞を奏したりなどする時は、特に心を静め気を収め誠心誠意目の当たりにいます神仏に対する態度をもってこれを試さなければいけない。 

祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭をする者、受ける側共々、決して上の空であってはいけない。

体調が優れない時

また作法に入る前、 花屋や水を供えにしても萎れたものや濁った水を絶対にお供えしてはならない生気の上に生気あり清浄の上に清浄のものを供える要がある。

したがってその器も塵や垢にまみれたものではいけない、あくまで清浄を要するのである 。

その祭壇においても常に綺麗にし清浄を保つ必要があります。

 

それから祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭をする者は気分の優れない時、心の清まってない時、憂いのある時などは祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭をやめとく方が良い。

 

私の場合一人しか1日で見ておりませんというのはそれに集中することで一日が終わり野球のピッチャーのように中数日空けてまた作法をする1日で何人もの人を除霊する方もいらっしゃいいらっしゃるようですがどうしても依頼者に対しムラが絶対にできるものである。

祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭を適当に中途半端で終わるのであれば1日に何人も見ることが私でもできますが徹底的に収めるには 一日一人が限界であろうと思います。

こと言え私の所に相談に来る方々はひどい霊障に悩まされている肩が多いので1日何人も見ることは不可能です。

 

また祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭等受ける方もそう心の曇っているときはうまくいきません。ですのでなるべく数日前から体調管理心の管理をしっかりしておく必要があります。

四国山中で修業する筆者

また自分の家の宗教と祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭する方の宗派が違うとか信仰の対象が異なっているとかの理由で亀頭を排斥してはならない。 幾多の宗教も色々な宗教があり皆悉く相違の面もあり違う様に見えるが根本真理は一つである。

故に自分の幸福増進利益の為には海の様な心を持ち諸種の祈祷・祓い・除霊(浄霊)や禁厭等を応用するのが良い。

また酵素弘法大師が開いた真言密教はどの宗派にも通じる日本仏教の根本であり ますから心配することは無用です。

私は密教で人を救っておりますが中庭外国の宗教キリスト教、 

黒魔術や外国の呪詛にかけられた人も救ってきました。

また依頼者の自宅に訪問しても依頼者の他の家族が神仏に懐疑的であれば 神も手を差し伸べてくれません。従ってそういう場合はお断りさせて頂いております。

まとめ

神仏を信仰しておれば必ず不思議があります。

例えて言うなら最近人工透析を受けている男性の方が 輸血が問題で HIV に感染いたしました。

私は10日間堂に入りお水とり以外、食、睡眠、横になる事を断ちひたすら祈願しました。

その後不思議が起きてその人工透析の方から HIV の菌は検出されなくなりました。そのような話はほんの一部です。

不思議はたくさんあります。